橘寺勝鬘経講賛1400年慶賛法要

06年 4月 22日




 今年は、聖徳太子勝鬘経講賛1400年の記念の年にあたるので、橘寺では大きな法要が営まれました。
 日本書紀の記述によると、推古14年(606年)『天皇は皇太子をまねき、勝鬘経を講じさせになった。』とあります。 
 橘寺は、聖徳太子がお生まれになった宮があったとされるところです。父用明天皇の別宮を寺に改めたものとされ、太子建立七大寺の一つに数えられます。

 『勝鬘経』とは、勝鬘夫人の為に釈迦が説法したものであるそうで、夫人は釈迦如来の分身とされ、法雲地という求道者の最高の地位を得ている人なのだそうです。太子が、日本最初の女帝である推古天皇に講読するには、『勝鬘経』は相応しい教えだったのかも知れません。


 法要は、100年ぶりに執り行われ、まず太子に五十対百味のお供えがされた後、勝鬘経問答という珍しい様式で執り行われました。

 聖徳太子は、推古天皇の仰せに従い「勝鬘経」を三日間にわたってご講賛になりました。その時に、大きな蓮の花が庭に降り積もったのだそうです。その蓮の花を埋めたところが蓮華塚です。  

                    

蓮華塚

 大化改新では、この蓮華塚の大きさを一畝として、田畑の大きさを測る基準としたという話もあるのだそうです。
 また、南の山に千の仏頭が現れ光明を放ったと言われています。


仏頭山

 太子の冠からは日月星の光が輝き(三光石)、不思議なことが次々と起こりました。


三光石

 推古天皇は大いに驚かれて、この地にお寺を作るように命じられます。これが橘寺の創建伝承となります。このことからも、勝鬘経講賛慶賛法要は、橘寺創建に深く係わる儀式であることが分かります。

 法要は、厳かな雰囲気の中で進んで行きました。 法要後には、八雲琴の演奏なども行われ、橘寺は終日大勢の参拝者で賑わっていました。



































朝から法要の裏方のお手伝いをさせていただきました。
その中で、いろいろのお話を伺いました。
私には難しすぎて、その何分の一すらも理解は出来なかったのですけど、
100年ぶりに執り行われる法要を間近に感じることが出来、
充実した一日になりました。

一緒にお手伝いをしました皆さん、ご苦労様でした。
河内太古さんikaruさんももさん・姫?お疲れ様でした。


2006年 4月 23日  記


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