天空の村
2006・02・19
明日香村字尾曽
(2005/12/18 撮影)
明日香村を一望に出来る藤本山に行くたびに、気にかかる集落がありました。
細川谷を挟んで南東の方向にあり、かなりの標高の場所にあります。
まるで天空の村のように見える集落です。
いつの日か行ってみようと思いながら、機会を待っていました。
畑七曲展望所から大和三山と二上山
尾曽の集落に直接行くだけでは、わざわざの機会がもったいない気がして、
上畑まで一度登って尾曽に下りる計画を立てました。
途中に、飛鳥を見下ろす絶好の展望所があります。
この日は、霞んでいて遠望は出来なかったのですけど、
大和三山や二上山が靄に浮かぶ島のように見えていました。
七曲展望所から眼下の石舞台公園
ここからは、飛鳥真神原の全景が視野に入ります。
また、稲渕の棚田や真弓・佐田の丘陵も見えていました。
飛鳥パノラマ写真館 畑七曲展望所 参照下さい。
好天に恵まれれば、さらに遠方まで見えることでしょう。
金剛山
下畑の集落に向かう道筋から、葛城山系の連なりが良く見えます。
手前の丘陵が、佐田・真弓丘陵になります。
上畑
尾曽への古道に入る前に、上畑の人気者の山羊君を見に行ったのですけど、
山羊君の代わりに、不審な奴らだ!と警戒の視線を向ける牛君に出会いました。
尾曽への古道は、落葉の積もる山の中の道です。
土の道の優しさが足の裏から伝わってきます。
山道ですけど、驚くほど良く整備されていました。
藤花山 威徳院
山道を抜けると、そこには別世界のような空間がありました。
小さな平らな土地です。
立派なお寺がありました。真言宗豊山派のお寺で、長谷寺の末寺のようです。
江戸時代末に毘沙門天を祀り、建立されましたが、
古くは飛鳥時代に日羅上人が紫の雲をまとった毘沙門天を本尊として、
建立されたお寺がその始まりだとする伝えもあるようです。
数戸しかない隠里のような集落にしては立派なお寺です。
毘沙門天への厚い信仰があればこそなのかも知れません。
尾曽を下った細川の道筋には、右 毘沙門天の道標が建っています。
尾曽の集落へ向かう旧道があったようで、
古くから毘沙門天信仰が盛んだったことが想像されます。
木蓮の花芽
尾曽の民家
尾曽の集落
天空の村は、訪れてもなお伝承の中にある村のような気がします。
犬の鳴き声だけが聞こえる静かな集落です。
山腹の僅かな平地をギリギリまで利用して、集落を形成しています。
ここには、私達が忘れ去った本来の時間の流れがあるのかも知れません。
尾曽を後にして、上から細川へと下りました。
もうこの森
気都和既神社を覆う森は、茂古森と呼ばれます。
その名は、645年の乙巳の変(大化改新)で、
中臣鎌足が飛鳥板蓋宮で暗殺した蘇我入鹿の首に追われ、
ここまで逃げ来て「もう来ないだろう」と言ったという伝承に由来します。
境内には鎌足が腰をかけたという石も残っています。
気都和既神社
細川谷古墳群の一つ
露出した石室
上のネコヤナギ
上居から島庄遺跡を覗いて、岡から飛鳥庵へと向かいました。
飛鳥庵からは、遥か七曲の展望所が見えています。
一日の行程を振り返りながら、足休めの止り木に腰を下ろしました。
同行していただきました河内太古さんのブログ記事です。
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